特集“選ばれる”ミュージアム
今後求められるミュージアムマネジメントの本質
『AM BUSINESS No.38』(綜合ユニコム株式会社)2002.1.10 岩城晴貞
 
 

存在意義を確立し積極的な連携の発想で運動体として発展していくことが必要

■自らの存在意義を明確にすることがミュージアムのあり方を考える根源

 独立行政法人化や総合学習の時間といった新しい動きがミュージアム論議に拍車をかけている。おそらく多くの識者が、市民参加のあり方や、評価、マネジメントの必要性について指摘するだろう。そしてそれはきっと正論に違いないから、私はここでは、あえてミュージアムという存在の根源へと立ち返ってみたい。
 それは、ミュージアムがそこに存在している意味や理由が、はたして地域の人たちにしっかりと伝わっているのかという問いかけである。
 滋賀県湖東町に「西堀榮三郎記念 探検の殿堂」というミュージアムがある。赤字運営がつづいていたことから存在が疑問視され、閉館を余儀なくされていた施設だった。ところが、廃止に向けて検討が進む過程で、町民たちがこのミュージアムの意味を本当に理解しているのかという疑問が提示されたことを契機に公聴会が開かれるが、なぜそういう施設が町にあるのかをほとんどの町民が理解していないことが明らかになる。その意味が理解されるに及んで、仮に赤字であっても、それが自分たちにとって意味のあることなら、認めればいいのではないかという意見も出はじめ、探検クラブを通じたフィールド活動を館の展示に反映させ、ケーブルテレビでミュージアムの情報や活動、子どもたちの参加した探検活動やワークショップの模様が放映されるという動きが生まれ、住民もその存在意義を認めるようになって、結果、館は存続することになった。
 つまり、このミュージアムはなぜできたのか、どういう形で利用できるのかが理解されていなかったところに問題があり、面白くない、赤字だというだけで不要論が巻き起こってしまう実態があるということを言いたいのだ。そしてミュージアム側も、自分たちのメッセージを十分に伝えていないという問題があって、そこにすべての問題の根源があるのではないかと思えるのである。湖東町だけの問題ではない。企業ミュージアムも含め対岸の火事ではないのである。
 それは非常に重要なことで、研究を主体にじっくりと学べる環境づくりを目指すミュージアムがあってもいいし、文化資産を活かし地域を超えて人が集まる楽しさに満ちたミュージアムへの志向があってもいい。そこに自らの存在意義に対する思想があればいいのだ。そこが明確になってはじめて、ミュージアムに対する評価ができるし、責任も生まれ、自ずと展示のあり方も明確になっていく。メッセージのないところにコミュニケーションは生まれないのである。
 だから、何をメッセージしようとしたのかをまず原点に返って見つめ直すべきで、それが来館者に十分に伝わっていないとすれば、どう改善すべきかを考えるべきなのである。最近、このメッセージが希薄なところが多い気がしてならない。
 独立行政法人化や総合学習の時間が実施されるから、博物館のあり方は変わらなければならない、のではない。PFIという手法があるからそれを使った博物館をつくろう、ではないのだ。そういう主客転倒した議論がミュージアムの未来を拓くことになるのか、大いに疑わしい。

 

■“個”の殻を破って外へ出ていく発展的な発想と活動が必要

 原点に立ち返るということからいえば、現行の社会制度や組織の仕組みの問題を避けては通れないだろう。まず考えなければならないのは税制の改善である。国も地方行政も財政が逼迫し、民間企業も不況に苦しむなかで、文化事業を支えていくには、税制を変えてメセナに取り組みやすい環境をつくることがぜひとも必要である。
 私も関西ミュージアムメッセの開催にあたって資金協力を得ようと東奔西走したときにその問題を痛感したが、多くの場合、イベントは善意の人たちのボランティアによって支えられている。ワークショップもしかりで、善意の集まりに寄りかかってしまっているが、本当はそれらが事業として成り立たなければならない。
 また行政の人事のあり方はこれまでにもたびたび問題とされてきたが、ここでは学芸員についても、まず学芸員になるための仕組みから変えていかなければならないことを指摘しておこう。ロートレックも知らない人が美術関係のセクションの学芸員としてやってくる現実を私は知っているが、何年か経験を積んでからはじめて学芸員として認めるなど、学芸員が学芸員としてきちんと職責を果たせる制度に改めていくべきである。
 そうした基盤ともいえる部分が明確にされ、改善されていかないとマネジメントも成立しないのではないだろうか。
 他方では、ミュージアムをもっと“柔らかい”頭で捉えていくことが必要だ。たとえば館の連携もそのひとつである。現状では館単独でできることには限界があるわけだから、他施設と連携するという動きが積極的に行なわれていい。一つのテーマを美術館、博物館が連携して企画し、資金的にも補い合いながらイベントをつくっていくなど、柔軟な連携ができれば、大きなパワーが生まれるし、話題も集客性も高まる。そこで人が動けば交通、飲食、物販に波及するというように文化観光を産業構造に結びつけていく発展性が求められるだろう。たとえば四国八十八か所巡礼という人が動く仕組みがある。そういうネットワークがあるなら、それを活かしたストーリーをつくってそのなかにミュージアムの活動を位置づけるという発想があってもいいはずだ。
 ともすると、自分たちの館のなかだけで課題を捉えがちだが、むしろ外へ向けて積極的に発展していく発想と行動が必要であろう。視点を変えて、博物館をめぐる課題を館や学芸員の問題ではなく、博物館的機能を地域社会なり市民にどのようにコミットさせていくかという捉え方をすれば、いままでとは違ったミュージアムの姿もみえてくるのではないか。たとえば駅がその地域の顔であるとすれば、そこに地域としての情報発信の機能をもたせることで、新しいミュージアム的駅舎に変身できる、と私は考える。
 大切なのはそこに明確な意志さえあれば、方法論はいくらでもみつかるということ。必ずしもハコが必要なのではなく、その意志、方法論の連なりこそがミュージアムなのであって、博物館だけを切り離してそのあり方を論じること自体がすでに硬直化した考え方なのだ。

 
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